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カーデザイナー転職遍歴 目次

更新日:2021年6月18日

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フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。 南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、 外国人も多いから気にはされなかった。 スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。 それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。 3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。 「イタリア人は働かないって日本人

「デザインって“美しい”だけじゃダメなんだ。それに デザイナーは、アイデア技術者。アイデアから技術が 生まれることも多い。」これがフランコさんのベース。 今ではデザイナースキル必須のレンダリング。 そのレンダリングも、ジョルジェット・ジュジャーロには無用。 レンダリングは、嘘や誇張が可能だから、 インパクト勝負。実際のクルマは再度デザインし直すことになる。 それが「時間の無駄」。 プロ同士なら、ス