top of page
  • 執筆者の写真SantilloFrancesco

(2)2社目 イタルデザイン

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。

南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、

外国人も多いから気にはされなかった。

スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。


イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。

それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。


3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。

「イタリア人は働かないって日本人は言うけれど、

何を見てそう思うのだろうね?」


フランコさんはいつも忙しく、土日の出勤も多かった。

けれど、「充実しているよ」。


入社して初めてわかったこと。

それは、イタルに入社したからといって、ジョルジェット・

ジュジャーロと共に仕事が出来るわけではないということ。


「GGが、デザインルームに現れるだけで、空気が変わるんだ!

GGの下で仕事がしたいなぁ」と、彼は目を輝かせながら

僕に話してくれた。



NEP-D


最新記事

すべて表示

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

「デザインって“美しい”だけじゃダメなんだ。それに デザイナーは、アイデア技術者。アイデアから技術が 生まれることも多い。」これがフランコさんのベース。 今ではデザイナースキル必須のレンダリング。 そのレンダリングも、ジョルジェット・ジュジャーロには無用。 レンダリングは、嘘や誇張が可能だから、 インパクト勝負。実際のクルマは再度デザインし直すことになる。 それが「時間の無駄」。 プロ同士なら、ス

bottom of page