(9)メルセデスへ

1995年11月、イタルへ戻ったフランコさん。

仲間も快く受け入れてくれた。再入社後すぐに、

プロトタイプFiat Formula 4を担当した。

今でも、カーデザイナーなら誰もが知ってい るクルマ。

人の記憶に残るようなクルマを担当することは、

イタルにいてもそう滅多にない。


フランコさんの仕事は順調だった。でも、バイクでは

あったけれど、メーカーで経験をしたフランコさんは、

カーデザイナーとして、企画から参加できるメーカー

経験の必要性を強く感じた。同じ会社でも、

外で異なる経験をした後に戻ってくると、

それまで見えなかったことが、見えてくる。


1998年7月、コモ湖畔にあるメルセデスデザイン

スタジオに移った。湖を見下ろす下宿。クルマはSLK。

MV Agustaを予約。パワーボートのデザインも

個人的にやったりして、この頃のフランコさんは、

生き生きしていた。

メルセデスからある内示があるまでは。。。


NEP-D

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(1)転職の理由

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

(2)2社目 イタルデザイン

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。 南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、 外国人も多いから気にはされなかった。 スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。 それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。 3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。 「イタリア人は働かないって日本人