• SantilloFrancesco

(7)イタルを去る

あんなに憧れて入社したイタルデザイン。それでも・・・。

フランコさんは、イタルに二度入社して二度退職した。

イタリアでは、転職してキャリアアップするのは

ごく当たり前のこと。


イタルに入社してしばらくすると、ジョルジェット・

ジュジャーロの元で仕事をする機会に恵まれた。

その上、クルマはMaserati3200GT。

まさに「GGの元でマセラティをデザインする」という

目標の第一歩。フランコさんにとって早すぎた目標達成

だったのかもしれない。


マセラティ3200GTは、フィアット傘下から

フェラーリの傘下となった第一弾のクルマ。

新生マセラティ。メーカーも力が入っていた。

フランコさんは、「デザイナーにとってメーカーの

経験は必要だ」と漠然と考えるようになっていた。

そんな時、あるメーカーから、オファーがきた。

「トポ、僕イタルを辞めて、引っ越すよ。」

でも僕は、フランコさんがイタルを去った

一番の理由を知っている。


NEP-D

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(1)転職の理由

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

(2)2社目 イタルデザイン

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。 南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、 外国人も多いから気にはされなかった。 スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。 それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。 3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。 「イタリア人は働かないって日本人