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  • 執筆者の写真SantilloFrancesco

(8)ピアッジョへ

フランコさんは、1994年1月、イタルからピアッジョへ

転職した。ピアッジョは斜塔で有名なトスカーナのピサに

ある。ベスパVespaが有名だけれど、元々は船舶や航空機の

会社。第二次大戦後、二輪を開発、ヨーロッパ最大手の

バイクメーカだ。僕たちを置いて単身ピザへ転居したけれど、

毎週末トリノに帰ってきてくれたので、

僕らは寂しくなかった。


オファーの際、「大型バイクのデザインを・・・」と

誘われた。「デザインは憧れの対象でなければならない」

フランコさんにとって、バイクのデザインはまさに憧れ。

当時のピアッジョは、スクーターのみのラインナップ。

しかし、プラン延期でスクーターデザインの日々。

その上、「結婚を申し込もう」そう思っていた彼女が

彼の元を去った。メーカーは、お給料もよかったんだ。

フランコさんが失意のどん底にいることを聞いた

ジョルジェット・ジュジャーロが、

彼をイタルへ呼び戻した。


NEP-D

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(2)2社目 イタルデザイン

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