• SantilloFrancesco

(6)GGとの思い出

みんなの憧れイタルデザインでの仕事。でもお給料は

充分ではなかった。フランコさんは学生時代から

ずっと友達とルームシェアしていた。


その彼が突然、転居してしまった。フランコさんは

困ってしまった。家賃が払えなくなったから。

そんな時、ジョルジェット・ジュジャーロが

ある家を紹介してくれ、その家の1部屋を借りる

ことが出来た。僕たちネコのことも快く受け入れて

くれた。後にフランコさんが出て行ってしまった後も、

僕とミキはお世話になっている。

画家だった大屋さんのご主人の建てたこの家は、

らせん階段が真ん中を貫いている。


その後、2005年東京モーターショーで再会した

そうだ。2時間近く、会場内を案内した。

こんなに長い時間、GGと二人でお話したのは、

初めてだった。この時紹介されていた

FerrariGG50コンセプトカー。

「50年カーデザイナーをやってきて、

はじめて自由にクルマのデザインしたよ。」

GGほどの人でも。





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(1)転職の理由

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

(2)2社目 イタルデザイン

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。 南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、 外国人も多いから気にはされなかった。 スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。 それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。 3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。 「イタリア人は働かないって日本人