• SantilloFrancesco

(11)トヨタで

 フランコさんの勤務地は、豊田市本社。

東京でもその近郊でもない。トクガワの出身地。

徳川は、当時の都京都ではなく、片田舎の江戸を

首都として鎖国政策を図った。

「知らなかったけれど、その当時、イタリア人なんかも

宣教師として来日していたらしいよ。」

社会変動の少ない田舎に首都を置くことで、

300年も継続したんだなぁ、徳川の時代は。


 「トヨタの良いところは、人とのコミュニケーションを

大事にするところ。個人的には、本社に在籍していたこと。

そして独身寮に住んでいたこと。窓ひとつでトイレも

バスルームも共同だったけど、様々な部署の人たちと

交流できたよ。」


フランコさんは、イタリアではPCを使ってデザインを

したことがなかった。初めての社内コンペで、手描きの

デザインを提出した。みんな“新鮮でよかったよ”と

言ってくれたけど、郷に入っては郷に従え。

PhotoShopの勉強を始めた。ソフトは日本語、先生も日本人。


NEP-D

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(1)転職の理由

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。 ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の 良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。 「日本では、ネガティブイメージなんだ。」 僕だって、彼の転職のたびに 「どうなっちゃうんだろう、僕たち」 と不安に思ったものだ。 イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、 日本で起業するに至ったか。 日本人には新鮮かもしれない・・・とネコ

(2)2社目 イタルデザイン

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。 南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、 外国人も多いから気にはされなかった。 スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。 それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。 3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。 「イタリア人は働かないって日本人